2024,2,14 田淵さん講演会 大石 勝彦

1) 就職

フラワーセンター大船植物園

関谷駐在事務所増殖指導課10年
本園(花壇)5年
横須賀行政センター7年
平塚行政センター2年
本園(花壇)1年
関谷駐在事務所増殖指導課13年

2) 私が就職した頃の状況

大学4年生の卒論が12月に終わってから教授に依頼して(研究室に依頼がきていた)玉利博氏(兵庫県氷上郡山南町和田農協の花木センター)のもとで2月~7月まで研修した。

玉利伊蔵→玉利幸次郎→玉利博

幸次郎氏の父 玉利伊蔵氏は、西郷隆盛の紹介で江戸の商人から援助を受け渡米し、オハイオ大学とイリノイ大学を卒業、帰国後島津候から家老の屋敷を拝領し日本の食糧難の課題に取り組み、ホルスタイン牛や除虫菊等を導入、幸次郎氏は大阪府立植物園の園長を務めた事等を玉利博氏から聞いた。

3) 植物園とは

植物園は本来大学や研究機関が研究の為に植物を収集、分類、栽培保存、展示する施設で、海外では大学の教授クラスが研究に参画している。

日本で公立の植物園を名乗る施設は色々あるが、そのほとんどが植物公園化している。日本では、そのような主な施設は、カナダやニューヨーク植物園で大学院教授や主席研究員を務めた小山鐵夫氏(現在は高知県立牧野記念財団専務理事、93歳)が帰国後に園長を務めた牧野植物園で、当時、職員は植物園の仕事と大学の講師を兼務していた職員もおり、また海外での有用植物の収集も行っていた。(小山氏2014,4,24没)

フラワーセンター大船植物園は、昭和37年7月に日本、特に神奈川県の園芸植物(ユリの球根や盆栽、花木等)の輸出と生産振興を目的として設置された展示見本園であった。神奈川県の農家に限定し、内田カノコユリを生産させて輸出していたが、1ドル360円から変動相場制に移行して円の価値が下がり、輸出が出来なくなってその設置目的は無くなった。現在は、植物園としての花木の収集や保存、研究活動は行われず、季節ごとの花壇の植え替え等が主な業務で、植物公園になっているのは、残念である。

4) 関谷での仕事

ユリ(内田カノコユリ)を輸出していた関係で、昼間の現場仕事以外にユリのハプロイド(半数体)を利用した花粉培養、葯培養をやるように指示された。当時タバコとイネはハプロイドの育成により1年8カ月で選抜を完了させていた。

カーネーションのウイルスフリー苗が実用化されており、表向きはカーネーションの生長点培養とウイルスフリー苗の生産販売とユリのハプロイドの二足のワラジの仕事になったが、ユリの球根のウイルスフリー球の生産に生かせ、また培養によってユリの播種から球根育成期間が短縮出来るという良い結果につながった。

神奈川県では、二宮に園芸試験場(カーネーション)、三浦分場(野菜)、相模原(植木)の試験場があったが、植物園は研究機関として位置付けられておらず、現在も同様で、植物園機能があるとは思えない。

5)シャクナゲ、ツツジ、アセビの品種改良

関谷圃場(大船植物園の関谷分園)には私が就職した当時、シャクナゲ、ツツジ、サクラがコレクションされていて、まずツツジやシャクナゲの種間雑種をつくった。

シャクナゲについて

横浜に箱根屋(オレゴン農機)という園芸植物の輸出入やそれに関する農業機械(スプリンクラーやミスト等の繁殖装置)を扱う貿易会社を経営する和田弘一郎という人物がおり、彼は鶴見に農場を持っていて、シャクナゲノ実生苗とヒゴツバキの栽培、販売をしていた(当時の初任給が3万円位で、シャクナゲの実生苗は1万円だった)。息子の代で会社は破産するが、和田氏は沼津出身でその後、伊豆でシャクナゲの品種改良を続け、太陽等の交配種を作出した。

当時シャクナゲは新潟で大量生産された鉢物が出回っていて、台湾産のアカボシシャクナゲの実生に西洋シャクナゲを接ぎ木したものが主力で、買った後の栽培は難しく「花がきれいだから枯れたらまた買ってくれる」という生産者サイドの販売方法をしていたので流通は定着しなかった。

和田氏の目指したのは、丈夫に育つシャクナゲだった。伊豆では現在も、和田氏が作出した丈夫だがあまり優秀と思えない大きく育ったシャクナゲの株を見かける。和田さんの選抜した太陽に接ぎ木して販売をすれば日本にも植木としてのシャクナゲが定着するかもしれないと考えていた。

玉利博先生の紹介で和田氏の薫陶を受け、日本の気候、風土で丈夫に育つシャクナゲづくりを志した。最初に手掛けたのはRho.アルボレウムとツクシシャクナゲの種間雑種を選抜したことで、名前を芳子とした。その後、和田氏が40年かけて作出した‘太陽’にアカボシシャクナゲ、ネリアーブ、アマギシャクナゲ等を交配し、丈夫に育つ日本の石楠花色の品種をつくった。それらの優良個体は本園の事務所前にシャクナゲ園を作庭し植えてある。

丈夫な個体を作るのには、雑種強勢が必要である。種間雑種を繰り返して、丈夫に育ち、出来ればヤクシマシャクナゲの交配で、あまり大きな株にならないものの選抜が望まれる。

日本の気候、風土で丈夫に育つ選抜されたシャクナゲを使い、栽培方法は、80㎝巾のベットに10㎝間隔位に苗を植えて3年くらい育苗し、育ちの良い株を手で引き抜けるくらいの状態の時にスコップで掘るのでなく、根を切らないように引き抜くと良い。(隣の株が抜けないで、座布団状に広がった根が抜ける。)

ツツジについて

関谷圃場では、ツツジ‘御代の栄’等を交配親に80坪の温室全部に実生、繁殖、育苗し、その後の栽培は、農家に委託した。その中から選抜した個体はフラワーの所有物になり、選抜外のものが県内の委託農家の露地で栽培されて販売された。

ツツジ類は、江戸時代から品種改良の取り組みがあり、バラエティーに富んだ多くの系統品種が出来ていたが、品種改良が進んでいなかった落葉系の品種改良に取り組み、オンツツジとサクラツツジの種間雑種をつくった。

オン×サクラ、サクラ×オンに始まり選抜個体の戻し交雑を繰り返しF1×オン、F1×サクラ、オン×F1、サクラ×F1等の戻し交配、F1の自家授粉、F1×ジングウツツジ、F1×クロフネツツジ、ホンコンミツバツツジとの交配等を行った。

交配すると巾広い花色の変異が生じて大木になるオンツツジと淡桃色のサクラツツジ交配から、白色からピンクの濃淡、薄紫、赤色まで、色々な花色の品種を作出し、12本を選抜、そのうち5品種が販売された。鎌倉美人と名前をつけてある。選抜外のものは、フラワーセンターに定植した。

私が注目しているのは、セイシカとアマミセイシカで、セイシカは、石垣島、西表島、台湾、中国南西部に自生、アマミセイシカは奄美大島に自生している。ツツジともシャクナゲとも違う独特の葉で、花の咲き方も素晴らしい。一つの茎に6芽がつきその1芽に3花咲く、全部で18花咲く時はシャクナゲのようで、花色はとても上品である。

セイシカとアマミセイシカにツツジ、シャクナゲの交配も試みたが未完成なので、セイシカやアマミセイシカの遺伝子と大木になるオンツツジの遺伝子を生かした良い種間雑種が出来てほしいと思っている。

フラワーセンターの図書室には日本、ヨーロッパの園芸古書等多くの蔵書が保管されていて、宮沢文吾氏の蔵書であったものも多い。「芍薬」、「花菖蒲」についてはそれぞれ命名され出版物になっているが、「躑躅」については最終的な選抜、命名がされておらず未発表になっていた。相談員の仕事で図書を調べている時に、大正6,7年「躑躅類調査」ⅠⅡと書かれたノートを発見した。ここには神奈川県立農事試験場時代に交配、育苗されたツツジの育苗中の形状、花色の説明など詳しく記載されていた。ノートに記載されたそれぞれの品種について解読、彩色し、アボック社から、〈神奈川県立農事試験場 「躑躅類調査」ⅠⅡ〉 として刊行した。

アセビの品種改良

玉利幸次郎氏は退職後、リュウキュウアセビを奄美大島から鹿児島へ持ち帰り、息子の玉利博氏は、兵庫県の花木センターで品種改良せずそのまま販売した。

日本のアセビは花が小さいがリュウキュウアセビは花が大きく、純白で美しい。アセビの交配は、メシベにオシベがピッタリとくっついていて除雄が難しく種間雑種にするには不向きな花の構造だった。

関谷圃場でアセビを観察していて、リュウキュウアセビは、花が大きくミツバチが花の中にもぐりこみ、蜜や花粉を集めているところだけに種子が実っていることに気がついた。秋になって種がついた状態を見ると花は全体に咲いていたのに種子が全くなっていないところと、種がびっしりなっているところが明らかに区別され、虫媒花であることを発見した。花の小さいアセビを交配して種雑種間をつくる方法が確立出来た。それまでのアセビの品種は交配種ではなく、選抜したものだった。

一回目のスプリングベルを育成した時も赤芽品種をめざして色々交配したが、はっきりした赤芽品種は未完成。2回目の関谷圃場の時にヒマラヤアセビのウエークハースト(血赤色、大葉、大木になる)をリュウキュウとスプリングベルに交配して、立ち性、赤芽、大きな花の個体を作ることが出来た。

一番の利点は種間雑種になることによりリュウキュウアセビの移植をしても枯れないという性質が活かせたことで、またその大きく純白の花にウエークハーストの新芽の赤(血赤色)、新芽から白、緑へと変わる色変わりの性質も加わって目指す品種ができた。

種間雑種作りは、原種のままでは、移植すると枯れてしまうものの移植を可能にする、手法として、10年単位の仕事であるが、欠かせないものです。

6)ユリについて

ユリは北半球にしか自生がなく、アジア、ヨーロッパ、アメリカで合わせて原種が約100種あり、それぞれ、生育環境によって花型、草姿に大きな違いがある。

関谷圃場の温室には日本原産のユリと種苗交換やユリ協会からの種子の導入によって、海外のものも半分くらい集められたが、私が心魅かれたのは海外のユリではなく、日本のユリだった。日本原産は12~13種、テッポウユリ、カノコユリ、タモトユリ、ウケユリ、スゲユリ、ヒメユリ、ササユリヤマユリ、サクユリ、オトメユリ、イワトユリ、イワユリ、エゾスカシユリで、日本列島の各地に分布している。このうち日本にしか自生していないものは8種で、タモトユリ、ウケユリ、ササユリ、ヤマユリ、サクユリ、オトメユリ、イワトユリ、イワユリです。

日本のユリはシーボルトがヨーロッパに持ち帰ったアカカノコが開花して注目され、開港直後から第二次世界大戦までの間、最初にササユリがイギリスに輸出され、テッポウユリ、カノコユリが大量に生産され海外に輸出された。テッポウユリ、カノコユリは1~2年の栽培で輸出球になる。

テッポウユリは、伊江島のサンゴ礁の岩の上の草藪の中に咲いていたテッポウユリを見て、感動した。節間がつまり、丈低く、下葉の方が長く、上になるに従って短くなり、丈30㎝くらいで2輪咲きだったが、商業ベースで見るユリの花と自然に自生しているユリは全く違うものと思った。

カノコユリ 木子を畑に定植して2作して出荷していた。

オリエンタルHybで育種に使われたものは、日本のヤマユリ、サクユリ、カノコユリ、オトメユリ、ウケユリです。

アメリカのベゴニアとユリの育種家ウッドリフに玉利博氏からタモトユリの花粉が送られ(一回目はカビがでてしまい、2回目はカーボーイが使うマッチ箱を送ってきてこれに花粉を入れて送った)その花粉が交配に使われて成功、これがオリエンタルハイブリッド品種作りのもとになった。ウッドリフは破産してしまうが、オランダがウッドリフの品種改良の特許を買い取り、それをもとに球根を大量生産、冷蔵貯蔵し年に3回切り花を出荷する体制を作り産業化、同時に世界中で育成中の交配種を買い集め独占体制を作った。

オリエンタルハイブリッドの品種には、サクユリの大輪咲きの遺伝子、ヤマユリのもつ赤花(ベニスジ)、ウケユリやタモトユリの白の遺伝子が生かされたと思う。

スカシユリ系品種は、カナダで育成されたものが利用された。

7)私のユリづくりの目指すところ

日本の野山には、「歩く姿はユリの花」のたとえに使われたように清楚で魅せられる美しいユリが咲いていた。北半球にユリの種類はたくさんあるが、日本のユリの花型や花色をもったユリはない。

ヨーロッパやアメリカでは、日本のユリ(シーボルトが持ち帰ったカノコユリ、その後紹介されたササユリやヤマユリなど)を見て感動し、エドワーズ、パクストン等の園芸古書にその姿を描いている。また品種改良に使われ数々の品種がつくられ、それらが日本に球根として輸入されて切り花になっているが、派手さや豪華さはあっても日本のユリの、楚々とした美しさを失っていることを残念に思っている。日本のユリ本来の清楚さのある、魅せられるユリをめざして品種改良に取り組んでいます。

関谷圃場時代の品種改良

ササユリ(箱根湿生花園から入手した岐阜県舞台峠産)、ルレーブ(オリエンタルHyb)
ウケユリ、タモトユリを使って日本人の美意識にあったユリを作る。

作出した品種

ササ×(ルレーブ×ササ№5)
(ルレーブ×ササ№1)×ササ 04-1タイプ
(ルレーブ×ササ№4)×ササ
ウケ×(ルレーブ×ササ№4) 04-8タイプ
ウケ×(ルレーブ×ササ№5)
ウケ×(ルレーブ×ササ) 04-8タイプ
(ルレーブ×ササ№5)×ウケ
(ルレーブ×ササ№1)×ウケ 13-1タイプ
ササ×ウケ  03-1
ウケ×ササ
ササ×ジンリョウ、
明日香の舞(ウケ×オトメ)×ササ(静岡県磐田産」 (仲田氏の交配)  
オリエンタル選抜ピンク
オリエンタル黄筋巨大輪
  95-895-1-1×95-898-1

鍋倉高原での品種改良

関谷時代に交配した品種を使いつつ、ササユリを中心に日本人の美意識にあった楚々としたユリ作りを目指した。

品種改良に使ったユリ

ササユリ
九州、四国、中国~新潟、神奈川 自生地によって違いがあるが、その中で、私が良い遺伝子をもっていると考えるのは、①三重県磯部町産ササユリ、②岐阜県舞台峠産ササユリ(湿生花園より入手)、③奈良県吉野郡中井氏より入手のササユリで、これを中心にした。

オトメユリ
丈が低い、花が小さい、花幅が広く大きい等で、交配親としては望ましくないが使ってみると、花の色が有効に働くことがわかった。

ウケユリ

関谷時代に品種改良したもの
 04-1 (ルレーブ×ササ)×ササ
 03-1  ササ×ウケ        
 04-8  ウケ×(ルレーブ×ササ)
 13-1 (ルレーブ×ササ)×ウケ
 13-2 (ルレーブ×ササ№1)×ウケ

ササユリどうしの交配
 磯部町× 奈良
 磯部町selfの後× 奈良 野上町生育優良個体
 下田遅咲きササ型ピンク× 04-1 野上町生育優良個体
 岐阜× 磯部町  佐川町
 佐川町×  奈良
 大峠×(ウケ×タモト) 03-1 04-1 岐阜 土屋、野上町生育優良個体、
 土屋× (明日香の舞×ササ) 13-1 オトメ 佐川町 大峠
 奈良× 4種混合、オトメ
 木の芽峠× 04-1
 野上町生育優良個体× オトメ、ジンリョウ、
 野上町生育優良個体selfの後× 奈良
 葯培養ニオイユリ× (ウケ×タモト)
 葯培養ニオイユリselfの後× 野上町生育優良個体

 03-1の交配 ササ×ジンリョウ (明日香の舞×ササ) 04-1 04-8
         オトメ タモト 磯部町 岐阜 
 04-1の交配 4種混合 13-1 ウケ オトメ 磯部町 岐阜 奈良 木の芽峠、
 04-8の交配 (明日香の舞×ササ) ニオイユリ 奈良
 13-1の交配 ササ×ジンリョウ、明日香の舞×ササ、奈良
 13-2の交配 明日香の舞×ササ
  
ササ以外の交配
(ササ×ウケ)×奈良、
 葯培養ニオイユリ×(ウケ×タモト)
 ウケ×04-1
 ウケ×オトメ
 オトメ(下田産)
 
ルレーブ系の交配
 ササ×(ルレーブ×ササ№5)
(ルレーブ×ササ№1)×ササ 04-1タイプ
(ルレーブ×ササ№4)×ササ
 ウケ×(ルレーブ×ササ№4) 04-8タイプ  なし
 ウケ×(ルレーブ×ササ№5)
 ウケ×(ルレーブ×ササ) 04-8タイプ
(ルレーブ×ササ№5)×ウケ なし
(ルレーブ×ササ№1)×ウケ 13-1タイプ  なし
(ルレーブ×ササ№4)×ウケ
(ルレーブ×ササ№1)
[(ウケ×(ルレーブ×ササ№5)]×(ルレーブ×ササ№1)

アジアティックの品種改良
ヒメユリの持つ多芽性の遺伝子 1球に生長点が4ツある。
2年間で、1球→4球→16球のように増える。全体が平らに横並びになり、3年目の開花時は、株立ちになる。

<私の長年のユリ栽培から得られた知見>

① 生育について

播種から開花まで5年から7年かかる。半数くらいの割合で新芽を伸ばさないで、地中で眠っている球根がある。温暖化の影響か、3対1くらいの割合で眠っている球根が増えている。自然発生する四倍体が稀に生じている。巨大化、丈夫になるというがまだ状況は十分わかっていない。

倍数体の記録は1920年頃から始まり、1930年~1940年の間に、コルヒチン等による人為的な方法で育成に利用されたこともある。(たねなしスイカ)気候変動に対する植物の生き残り対策としてみれば、素晴らしい反応の仕方。草丈は2倍、葉も長く、全体に大型化する。(現代のO.Hybの品種のようにグロテスクでない)

② 自生する環境

過湿を嫌う。ユリを単独で栽培するのは鉢植えでもかなり難しい。科本科雑草と共生させるのがよい(腐らないで長生きする)。山の尾根筋、中腹の傾斜地、岩山の崖の割れ目、ススキの株の中等、植物の育つ環境としてはかなり厳しい環境で他の植物が育たないところで生きている。人間が栽培すると、なかなか難しい。植物ながら、こんなところでも花を咲かせられるのかと考えさせられるところでも生きている。

自生地(昔この辺にユリが咲いていたといわれるようなところ)でユリを見つける時、方位的には北の斜面をまず探してみる。

ササユリは、明るい日陰の傾斜のある草原が良い。ヤマユリも同様で更に崖でも生きている

③ 人為的に栽培する場合

50%遮光で、風通しが良いところ、鉢植えの場合は、深鉢で排水を良くして毎年植え替える。桐生砂、肥料マグアンプ、水をやりすぎないように注意し、水をやる時は、よく乾いてからたっぷりとやる

産地ごとのササユリの写真
品種改良した個体の写真