ユリは、ギリシャ、エジプトなどの古代文明や宗教において特別な意味を持つ花でした。純白のマドンナリリーは、最も古くから栽培されてきた花であり、紀元前16世紀頃のクノッソス宮殿の壁画にも描かれています。

百合の王子,Prince of the Lilies,Zde, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

古代ローマでは薬用とされ、ローマ軍が持ち込んだマドンナリリーがヨーロッパ全土に広まりました。キリスト教では聖母マリアの純潔の象徴となり、さらに復活の象徴としてイースター(復活祭)にも欠かせない聖花になりました。

ヨーロッパには他にも数種類のユリが自生していますが、キリスト教で重要な「白いユリ」マドンナリリーが栽培の中心でした。しかし、本来の産地はシリア、パレスチナ地方の乾燥地域で、欧米では育てにくい花だったのです。


日本では、古来からユリは身近な存在でした。古事記に登場する「山由理草」はササユリのことです。万葉集にはササユリやヤマユリを詠んだ歌がいくつもあります。飛鳥時代から伝わる奈良の三枝祭(さいくさのまつり)では、ササユリを供えて疫病退散を祈願します。

野生のままでも美しい種類が数多く自生したため、観賞用のユリ栽培が始まったのは室町時代以降です。なお、以前から一部の種類は食用や薬用に栽培されていました。

江戸時代に園芸が大流行すると、各地に自生するさまざまなユリが集められ、盛んに品種改良がおこなわれました。特に上向きに咲くスカシユリは人気で、100種類以上の品種があったとされています。

花菱逸人 [著]『透百合培養法』 国立国会図書館デジタルコレクション

鎖国の下、東インド会社の庭園技師として来日したマイスターは、日本の植物を調査して1692年に本にまとめました。その中で、テッポウユリやカノコユリをヨーロッパに初めて紹介しています。

江戸時代後期に医師として来日し、日本のあらゆることを調査しに来た博物学者のシーボルト。彼が1829 年に日本から追放される際に、12種類の日本のユリを持ち帰りましたが、大部分が船旅の途中で腐ってしまったといいます。しかし、1833 年にオランダ(当時。現在はベルギー)にあるゲントの植物園でカノコユリが開花し、「宝石のルビーのように美しい」と絶賛されました。これが世界に日本のユリが渡った最初です。

当時に描かれたアカカノコユリ

豪華で美しい日本のユリは欧米の人々を魅了し、園芸家が交配を始めました。ヤマユリ、カノコユリなど日本のユリ同士を交配してオリエンタル・ハイブリッドが、日本のスカシユリや東アジアのユリからはアジアティック・ハイブリッドが育成されています。

明治には、ユリ球根の輸出が始まりました。当初は山取りでしたが、後に栽培品のテッポウユリが中心となりました。育てやすいテッポウユリはマドンナリリーの役割を取って代わり、昭和初期までユリは日本の主要な輸出品目でした。

第二次世界大戦で日本のユリ輸出は中断し、その間にテッポウユリの主要産地はアメリカに移りました。また、大量生産の体制を整えたオランダは、世界最大のユリ生産国となりました。交配技術の進歩により、従来は種子ができなかった組み合わせでも雑種が作られるようになり、現在も毎年多くの新品種が開発されています。